日本百名山

1978 427p 深田久弥著 新潮社 ISBN4-10-122002-6

 

スポーツでも、学問でも、その分野を代表する名著が必ずひとつはあるものだ。そして、それを「○○のバイブル」と言う言い方をすることがある。とすれば、「登山家のバイブル」になるのは、紛れもなくこの『日本百名山』だろう。

百名山の内訳は、一覧の項目で紹介したので、ここでは触れない。多くの登山者は、登山初期のうちにこの名著を知り、気が付けばこの百山全てを登頂しようと試みる。達成した人、現在進行形の人、挫折してしまった人、いろいろあろうが、誰もが全山征服に憧れ、一つでも多く登ろうと思い、他の登山者との語らいのなかでも、いくつ征服したかはよく話題に上るものだ。しかし、なぜこれだけ多くの登山者の支持を受けるのか。

それは、本を読めば、すぐ理解できる。深田氏が本当に山を愛し、楽しんでいること、そして山を敬愛していることが良く伝わってくるからだ。それは、深田氏の本音が吐露された部分においてみうけられる。例えば、北岳のところで、その姿を「惚れ惚れするくらい高等な美しさである」とし、頂上での眺望を前に「至福であった」と語った上で、新しい車道が完成し、手軽に登れるようになったことについて、「喜ぶべきか悲しむべきか、私は後者である」と述べている。山を愛するものにとっては、山は美しく遥かな物でなくてはならぬ、本当に山を愛するものにしか思えないことだ。また、文筆家らしい文学的表現においても、心を惹かずにいられない。空木岳のところで、「空木、空木、何というひびきのよい優しい名前だろう。もし私が詩人であるならば、空木という美しい韻を畳みいれて、この山に献じる詩を作りたいところだ」という部分は、傑作と言ってもいいくらいである。それだけでない。地質、民俗学などの学術面でも水準が高く、各山に関する知識も多分に得ることが出来ることも、この本の魅力を高めている。学術書であり、同時に文学書である稀少な文献である。

ここでは百山が上げられている。勿論、この百山だけが山ではない。ここに入らない山でも素晴らしい山はいくらでもある。この辺は深田氏も頭を悩ませたようであるが、後記のところでその辛さがひしひしと伝わってくる。時々読み返しては、ともすれば百山のピークハントに重きを置きがちな自身の登山姿勢を反省している。登山時に携行し、山頂でその山の記述を読むなんて事もした。私には決して手放せない本だ。

いろいろ書いてみたが、どうしてもこの本の魅力を語り尽くせない。奥の深い本だ。いや、私みたいな小童が、こんな名作の解説をしようとするなどそもそも間違っているのかもしれない。山に興味があってこの本を読んだことのない人はまずいないとは思うが、まあよい、とにかく読んでくれ、読めば解るとだけ述べて終わりにしよう。